蘭学塾のはじまりは、蘭先生が創り出す異次元ともいえるようなエネルギー空間に包まれてスタートします。同時に高次元の浄化が行われています。テーマによって毎回違うのですが、例えば、深い海の中へ誘われるような感覚に包まれたり、熟れた果物がたわわに実った果樹園のような中でその重みをずっしりと感じながらスタートしたり、時には荘厳な教会のような場がつくられたりします。(もちろん実際の目には見えないのですが)私にとっては、人間の五感を超えたスピリチュアルな五感を高める好機で、楽しく学ばせていただいています。このような空間の調整も、テーマやメンバーに合わせて私達の学びをスムーズに進行させるべく大きな意味があるようです。
受講中は、「(教えを)一滴もとりこぼしてはならない。」そんな声が自分の中から聞こえてきます。私に対して投げかけてくださるお言葉はもちろんのこと、参加されるお一人お一人へのアプローチでも何故か私がドキリとすることがよくあり、全てが参加者全員への深いメッセージであることを思い知らされます。頭でとらえると簡単過ぎる?ことがあるかもしれませんが、ぜひ心で聞いて、心にとめてみてください。シンプルなナビゲートですが、蘭学塾後、日々の生活の中で意識して活用したり、楽しんでみると、如何に深いことを教えていただけたかが分かり、感動します。受講後は、気持ちがとても軽くなって元気になります。
ご参加のみなさんを拝見しても浄化されパワー補給されたことが分かり、こんなにしていただいて良いのかしら?というのが正直な感想です。蘭先生はじめ主催者の皆様には心から感謝しつつ、毎回幼稚園児のようにワックワク!で参加させていただいています。
これまで様々な能力者にお会いする機会がありましたが、これほどの高いレベルは経験がありません。世界でも比類なき才能をお持ちの先生だと思います。
(Y. O. 様 女性)
蘭学塾との出会い、テーマは「結婚」。独身の私は予言めいたモノを期待。しかし、結婚生活には相手への尊敬や感謝、忍耐が必要とのお話…初めての人が多く、先生と参加者のギャップが大きかったと思いますが、意外過ぎて「これだ✨」と確信。
その後は、一見平凡な、解っているつもりの言葉で、大切な事を教えて戴きました。まだまだ先生の真意は殆ど理解出来ていませんが、お題の多様性と、参加者とのやり取りが毎回の楽しみ。先生のお話もさることながら、メンバーの発言の中にハッとする瞬間があり、これこそ、蘭学塾参加の醍醐味です。
(S. S. 様 女性)
これまでずっとスピリチュアルな事への興味が尽きず、色々勉強して参りました。蘭先生にお会いして、これまで勉強してきた事が頭だけで理解しようとしていた事に気付きました。 非常に疑い深い私でしたが、何故そんな事がわかるのだろうと最初は興味本位的な気持ちがあった事は事実です。蘭先生の真髄の所に気づくのに1年以上かかりました。それでも行くをのやめなかったのは、何か自分の中にあるずっと抱えてきた事への疑問の答えがここにあるのではないかとという漠然とした思いでした。
そして巷のスピリチュアルが成果主義な部分が大半を占めていること。そして自身もそのような物の見方、考え方があった事に気づきました。沢山の気づきの中でふと周りを見た時、自分を取り巻く世界が以前よりずっとハッピーなものになっていました。自分が変われば周りが変わる。どのスピリチュアルでも言われる事ですが、本当の意味で、それを感じている現在です。
(T. N. 様 女性)
わたしが蘭学塾に参加するようになって五年近くになります。東京から新幹線の距離に住んでいるため、参加には時間と交通費がかかりますが、それでも毎回のように参加しているのはなぜなのか。今回、蘭学塾の感想を書くにあたって改めて考えてみました。
蘭先生は毎回のテーマに添って、この世界のさまざまな事象や行事の本当の意味を解き明かしてくださいます。深く広いスピリチュアルの観点から、物事が持つ、本当の意味を明かしていただけるのはそれだけでも貴重な学びですが、蘭学塾の醍醐味はそれだけではないように思います。
蘭学塾では毎回、テーマに添って質疑応答が繰り返されます。蘭先生の問いに対して自分の答えはどんなだろうと考え、ほかの参加者の答えを聞いて「ふむふむ」と思ったり……そんな中で、自分がどんな心で、どんな考えで日々を生きているのか、人生と向き合っているのか、気づかされることがよくあります。
自分に足りていなかった視点や、思いの浅さといった、普通ならば指摘されてもすんなり受け入れられない自分自身の心の持ち方について、「あー自分、こんなところがあったのか。そんな心でいたのか」と、みずから気づくことができるのは得がたい経験です。自分がどんな状態で、どんな心でいるのか、気づかせてもらえるのも蘭学塾の素晴らしさです。それでは、蘭学塾に通うのは、そういったスピリチュアルの深い学びが得られ、みずからの心に在り方に気づくことができるからなのかと言うと、また、それだけではないように思えます。
蘭学塾は二時間、その後の交流の時間を含めて数時間の会ですが、始まる前と終わった後では、自分の波動というのか、エネルギーというのか、オーラというのか、とにかくそういったものが、まるでちがっているように感じられます。自分の中がすっきりと整えられ、澄んで清らかな状態になっているのを感じる時、蘭先生のすごさを実感します。普通に先生の話を聞いたり、ほかの人の言葉を聞いたり、自分でも質問したり、話したりしているだけなのに、なぜ、そんな変化が起きるのか。
無理矢理に変えさせられるのではなく、ごく自然に、自分にとって心地いいエネルギー状態にしていただける場を、わたしはほかに知りません。知識と気づきのほかに、この体感、そして、継続して参加するうちに自分の成長を感じられること、それがわたしが今、言葉にできる、蘭学塾に通い続けている理由です。仕事に対する姿勢も、与えられる評価も、この五年で大きく変化しました。もちろん、よい方向に、です。
そして、もっと深く、今はまだ言語化できないところで、「すごいなにか」が蘭学塾と蘭先生にはあって、それに惹かれて毎回上京しているのではないかとも思っています。
(T. N. 様 女性)
スピリチュアルに昔から興味があった私はすんなり蘭学塾に参加できました。毎回のテーマよりは、その場にいるという事が意味があるような気がします。うまく表現ができませんが、見えそうで見えない、理解できそうで出来ない不思議な感覚を感じて必ず次回も参加しなくてはと思うのです。振り返ると自分が成長したのか?周りの環境が良くなったのか?以前よりも心が豊かになっているのを確実に感じています。
(C. N. 様 女性)
蘭学塾への参加は偶然知り合った方に誘っていただいたのが始まりでしたが、初めて行ってみると円座になれる少人数規模で、本当にプライベートな勉強会…という感じでした(今もそうです)。初回時の私は巷のスピリチュアルの知識で頭がパンパンで、蘭先生のすごさなど全く分からず、先生の言葉も(とてもシンプルなだけに)一般的なことをお話されるな〜と思ってしまったりして、表面的なことしか理解できないで終わってしまっていました。そして時々蘭先生から、自分でも無自覚なことを指摘されたりするとドキッとしたりして、最初は何だか居心地が悪いような、そんな感じでした。でも何故だか、参加したい、参加し続けたい、自分にとって必要な場のような気がする、そんな気持ちで回を重ねて参加し続けてきました。
蘭学塾は一般的なスピリチュアルで良くあるところの、色んな知識を詰め込んだり、耳や脳に心地よい手法を教えたりしてくれるところではありません。その人が期待するものが、表面的なものだったり、即効的な利益のみだったりする場合は、そもそも参加する機会すら与えてもらえないような気がします。そういう意味ではこの塾の存在を知れただけで、大げさではなく自分の人生にとって一つの大きな成長のチャンスが与えられたということと同じ意味だと思います。蘭学塾は、自分が成長するに従って、そのすごさを頭というより心で感じ取ることが出来るように変わっていきます。蘭先生のスピリチュアルは人間の世界のロジックと、スピリチュアルの世界のロジックを混在させない点も魅力です。人間の世界でも不要な落とし穴にはまらないように導いていただきつつ、見えない世界のロジックも意識して日々の生活を過ごせます。蘭学塾での学びによって、毎日が実践の場に変わっていきます。
あと別の魅力になるかもしれませんが、参加している人達が温かくいい人ばかりです。それぞれの軸をもって人生を航海している人達が、蘭学塾に集まり学びを得て、それぞれの人生という海でまた様々な経験を積み、また成長した感性でシェアをする。そしてここに集えていること自体に理由があると思えている。そんな他にはない唯一無二の学びの場に参加させていただけることに、改めて感謝します。
(Y. M. 様 女性)